【2025年版】大人になって気づいた“車との距離感”の話|若い頃には見えなかった景色

【2025年版】大人になって気づいた“車との距離感”の話|若い頃には見えなかった景色

車って、若い頃は「ただの道具」だと思ってたんですよね。
移動できればOK、速ければカッコいい、燃費なんて気にしない。
そして何より、車に対して感情なんて持つわけないじゃん、って心のどこかで思ってた。

でも、大人になってくると不思議で。
車との距離感が、じわじわ変わっていくんですよ。
あれって年齢のせいなのか、経験のせいなのか、それとも“人生そのものの厚み”なのか。
理由はうまく言えないけど、確かに変わる瞬間がある。

今日はそんな「車との距離感の変化」について、ゆるく語ってみたいんです。
技術とか知識じゃなくて、もっと人間っぽい話。
あなたにも「ああ、わかるかも…」と思ってもらえる瞬間がある気がするんですよね。


■ 若い頃の“車=自由そのもの”という感覚

僕は十代の頃、車は「自由の象徴」でした。
とにかく遠くへ行きたい。
夜の海に行ったり、峠を走ったり、友達を乗せて走り回ったり。
あの頃は、車があれば世界が広がる気がしてたんですよね。

でもその自由って、どちらかというと“勢い”とか“衝動”みたいなものだった。
言ってしまえば、目的地のほうが大事で、車は手段。
走るのが楽しいというより、「行ける」という感覚のほうが快感だった気がする。

メンテナンス? なにそれ?
オイル交換? まだ大丈夫っしょ。
タイヤ? 溝があればOK。
そんな感じで、車に対する責任なんてほとんど考えてなかったんですよ。

今思えば、あの頃の車との関係は「片思い」みたいなものだった気がします。
こっちは好き勝手に乗り回して、車の気持ちなんて何ひとつ考えてなかった。
でも、それでも車は文句を言わずについてきてくれたんですよね。


■ 大人になると、車に対して“守られている”感覚が生まれる

30代に入った頃でしょうか。
ふと、車に対して「守られてるな」と思う瞬間が増えたんですよ。

たとえば、雨の日に視界が悪い中を走っていた時。
ワイパーが一定のリズムで動きながら、外の荒れた世界と僕を分けてくれている感じ。
エアコンのあたたかい風が、車内の空気をふわっと整えてくれる感じ。
「なんか、包まれてるな」って思ったんです。

若い頃は気づかなかったけど、車って“安心をくれる存在”なんですよね。
ただの乗り物だと思っていたものが、気づけば自分の生活の安全圏になってる。

高速道路で長距離を走るときもそう。
疲れたら休ませてくれるし、何かあっても「ちゃんと守るよ」と言ってくれている感じがする。
シートって単なる椅子じゃない。
あれは“僕の体を支えてくれる場所”なんだと、歳を重ねてから気づいたんです。

あの感覚は、説明しようとすると難しい。
でも、「あ、車って俺の味方なんだな」と思える瞬間が確かにあるんですよね。


■ 車に対して“ありがとう”と言えるようになった瞬間

ある冬の日のこと。
雪が降っていて、道路はガタガタ。
ホイールハウスに雪が詰まるし、凍結で滑るし、とにかく走りづらい日でした。

そんな道をなんとか家まで連れて帰ってくれた車に、
駐車場に止めた瞬間、ふと「ありがとう」と口に出てしまったんです。

若い頃なら絶対にそんなこと言わなかった。
でもその日は自然と出た。
自分の体がほっと緩んで、その開放感の中で出た“ありがとう”。

車はただ静かにそこに停まっているだけなんですけどね。
でも僕は、その車に感謝していたんですよ。
「よく頑張ってくれたな」「今日も無事に帰してくれたな」って。

その瞬間に、車との距離感が変わったんだと思います。
ただの道具ではなく、相棒になった。
守り、守られ、支え合う…そんな関係に変わったんです。


■ 故障した時にわかる“心の穴”

逆に、車が故障した時って心に穴が空いたような気になるんですよね。
代車が来ても、なんか違う。
「乗れればいい」なんて思っていた若い頃に比べて、代車での移動がやけに味気なく感じる。

「いつもの車じゃない」というだけで、世界の温度が少し冷えるんです。

便利な機能の有無じゃない。
シートの形でもない。
走りのクセでもない。
もっとこう…“付き合ってきた時間”みたいなものが、心の中で勝手に価値を持ってしまっている。

だから、修理が終わって戻ってきた瞬間のあの安心感は、言葉にできないんですよね。
「ああ、帰ってきたんだな」って。


■ 車は“人生の静かな証人”なのかもしれない

大人になって思うのは、車って僕の人生の“証人”だったんじゃないか、ということ。
嬉しかった日も、落ち込んでいた日も、泣きながら帰った夜も、誰にも話せない悩みを抱えたまま走った日も。

車はただ黙って僕を運んでくれた。
何も言わないし、何も聞かないし、何も求めない。
でも、ずっとそばにいた。

人って、大人になるほど“何も言わずそばにいてくれる存在”の価値がわかってくるんですよね。
車との距離感が変わる理由って、多分そこにあるんだと思うんです。

車は、人生の節目をいつも一緒に通ってきた相棒。
そんな存在に対して、愛着が湧かないはずがない。


■ 車を手放す時に泣きそうになる理由

「乗り換えです」と言うと、若い頃ならワクワクしかなかった。
でも今は、そこに寂しさが混ざるようになりました。

乗り換えの日、洗車をしながら車に触れていると、いろんな記憶がよみがえるんですよね。
「あの頃、よく海に行ったな」
「仕事がうまくいかなくて泣いた帰り道もあったな」
「家族を初めて乗せた日、妙な緊張したな」
そんな思い出が次から次へと流れてくる。

車を失う寂しさって、“過去の自分との別れ”みたいなところがあるんです。
だからこそ、大人になると車を手放すのが苦しくなる。


■ まとめ:車との距離感は “人生の深さ” とリンクしている

若い頃はただの道具だった車が、いつの間にか相棒になっている。
そしてその相棒は、人生の苦楽をそっと受け止め続けてくれた存在だと気づく。

車との距離感が変わるというのは、きっと大人になった証拠なんですよね。

これを読んでくれているあなたにも、そんな瞬間があるんじゃないでしょうか。
もし「わかるなぁ」と少しでも感じたなら、僕らは同じ景色を見られているのかもしれません。

今日もまた、車に乗り込むと、どこかで静かに寄り添ってくれている気がします。
その優しさに気づける大人になれたことが、なんとなく嬉しいんですよね。