
年末が近づくと、毎年のように思うことがある。
「そろそろ、車を洗おうかな」という気持ちだ。
別に、誰かに言われたわけでもない。
車検があるわけでも、どこかに見せに行く予定があるわけでもない。
ただ、年末になると自然と、そう思う。
不思議だなと思う。
一年の終わりにやることなんて、本当は山ほどあるはずなのに、
なぜかその中に「洗車」が含まれている。
しかもそれは、
「やらなきゃいけないこと」じゃなくて、
「やりたいこと」に近い感覚だったりする。
年末の洗車は、効率が悪い
正直に言えば、年末の洗車は効率が悪い。
寒いし、水は冷たいし、
風もあって、せっかく拭いたところにまた埃が乗ったりする。
夏にやった方が、よっぽど楽だ。
天気も安定しているし、乾きも早い。
それでも、なぜか年末に洗いたくなる。
合理性だけで考えたら、
「別に年明けにやればいいじゃん」で終わる話なのに、
そうはならない。
たぶん、年末の洗車って、
車をきれいにする行為そのものが目的じゃない。
汚れを落とすというより、時間をなぞっている
ボディについた汚れを、スポンジでなぞる。
ホイールの隙間に溜まったブレーキダストを落とす。
フロントガラスの油膜を、丁寧に拭き取る。
その一つひとつの動作が、
今年走ってきた時間を、なぞっているような感覚になることがある。
あの道を走ったな、とか。
この汚れは、あの雨の日だな、とか。
洗車って、意外と記憶を呼び起こす作業だ。
車内を掃除しているときなんかは特にそうで、
シートの下から出てきたレシート一枚で、
その日のことを思い出したりする。
「ああ、この日はちょっと遠回りして帰ったな」とか、
「この日は、やけに疲れてたな」とか。
車は、僕の一年を、ずっと横で見ていた存在なんだなと思う。
車をモノとして扱いきれない理由
車は、あくまでモノだ。
移動手段だし、道具だし、消耗品でもある。
頭では、ちゃんとそう分かっている。
それでも、年末に洗車をしていると、
どうしても「モノ」としてだけは扱えなくなる。
この一年、
何も言わずに付き合ってくれたこと。
調子が悪い日も、黙って走ってくれたこと。
そういうことを、つい考えてしまう。
誰に見せるわけでもないのに、
細かいところまで拭いてしまうのも、
たぶんそのせいだ。
感謝、なんて言葉を使うと、
少し大げさに聞こえるかもしれないけど、
近いものはあると思う。
一年を「終わらせる」作業
年末って、不思議な時期だ。
カレンダーが切り替わるだけなのに、
気持ちの中では、ちゃんと「区切り」がある。
仕事も、生活も、
きれいに終わるわけじゃない。
むしろ、途中のまま年を越すことの方が多い。
それでも、人は何かを「終わらせた」感覚を欲しがる。
僕にとって、その一つが洗車なのかもしれない。
車をきれいにして、
「今年もよく走ったな」と思えると、
自分の一年も、少しだけ整理された気がする。
きれいになった車で、少しだけ走る
洗車が終わったあと、
そのまま車庫に戻すのもいいけど、
僕はだいたい、少しだけ走る。
目的地はない。
近所を一周するくらいの、短いドライブだ。
きれいになったフロントガラス越しに見る景色は、
さっきまでと、何も変わらないはずなのに、
少しだけ違って見える。
たぶんそれは、景色が変わったんじゃなくて、
自分の気持ちが、少し整っただけなんだと思う。
来年のことは、まだ考えなくていい
年末になると、
「来年はこうしたい」とか、
「もっと頑張ろう」とか、
そういう言葉が増えてくる。
それはそれで悪くない。
でも、洗車をしている時間だけは、
来年のことを考えなくていい気がしている。
今はただ、
今年をちゃんと終えること。
それができたら、
次のことは、年が明けてからでいい。
車と一緒に、一年を終える
年末の洗車は、
自分を律するための儀式でも、
気合を入れるための行為でもない。
ただ、
「今年も一緒に走ってきたな」と、
静かに思う時間だ。
車と一緒に一年を終える。
それくらいの距離感が、
今の自分にはちょうどいい。
きれいになった車を見て、
少しだけ、深呼吸をする。
それだけで、
年末は、もう十分なんじゃないかと思っている。






