【2025年版】年末ドライブで考えてしまうこと|渋滞の中で見えてくる本音の話

年末に車を走らせていると、
なぜか、考え事が増える。

別に、悩みが増えたわけじゃない。
むしろ、忙しい時期のはずなのに、

年末の道路は混んでいる。
これは毎年のことだ。

帰省する人。
買い出しに向かう人。
いつもより少し大きな荷物を積んだ車。

なのに、
イライラする気持ちは、意外と少ない。

普段の渋滞なら、
「なんでこんなに混んでるんだ」と思うのに、
年末だけは、少し違う。

みんな、急いでいないように見える。
もしくは、急いでも仕方がないことを、
どこかで分かっているように見える。

目的地が、急にどうでもよくなる

年末のドライブでは、
目的地の存在感が薄くなる。

もちろん、行き先はある。
実家だったり、買い物だったり、
用事はちゃんとある。

それでも、
「早く着かなきゃ」という気持ちは、
いつもより弱い。

たぶん、
年末という時期そのものが、
「途中でいい」と言ってくれている。

今年はもう、
何かを詰め込む時間じゃない。

車内は、考え事にちょうどいい狭さ

車内は、狭い。

でもその狭さが、
考え事をするには、ちょうどいい。

家だと、
やることが目に入る。
スマホもあるし、テレビもある。

外に出ると、
人の目がある。

車の中だけが、
何者にも邪魔されない。

ハンドルを握って、
前を見ているだけでいい。

この一年、ちゃんと走れていただろうか

年末のドライブ中、
ふと、こんなことを考える。

「この一年、ちゃんと走れていただろうか」

成果とか、成長とか、
そういう話じゃない。

無理をしすぎなかったか。
止まりすぎていなかったか。

スピードを出しすぎた日もあれば、
なかなか進まなかった日もあった。

それでも、
ここまで来た。

車と同じで、
完璧な走りじゃなくても、
進んでいれば、それでいいのかもしれない。

渋滞は、立ち止まることを許してくれる

渋滞というのは、
強制的に立ち止まらされる時間だ。

自分の意思じゃないから、
諦めがつく。

「今日は進めない日なんだ」と、
自然に受け入れられる。

年末も、
それと似ている。

もう、無理に前に進まなくていい。
少し止まっても、
誰にも責められない。

音楽をかけても、かけなくてもいい

年末のドライブでは、
音楽をかけないことも多い。

無音というわけじゃなく、
エンジン音と、タイヤの音だけ。

それだけで、
意外と落ち着く。

無理に気分を上げなくていい。
盛り上がらなくていい。

ただ、流れていればいい。

誰かと一緒でも、ひとりでも

年末ドライブは、
誰かと一緒でもいいし、
ひとりでもいい。

会話があっても、なくてもいい。

沈黙が続いても、
気まずくならない。

それも、
年末という空気のおかげだと思う。

この時間が、来年につながっていく

年末のドライブで考えたことは、
その場で答えが出ることは少ない。

でも、
それでいい。

答えを出すための時間じゃなくて、
「考えてもいい時間」だから。

たぶん、
この余白があるから、
来年も、また走り出せる。

年末は、急がなくていい

年末の道路が混んでいるのは、
悪いことじゃない。

みんなが少しずつ、
スピードを落としている証拠だ。

今年も、
いろいろあった。

でも、
こうしてハンドルを握っている今、
ちゃんとここまで来ている。

それだけで、
十分なんじゃないかと思っている。