何も起きていない平日の夜に、車に乗る意味

何も起きていない平日の夜に、車に乗る意味

1月も後半に入って、
平日の夜が、完全に「普通」になった。

正月の名残もない。
仕事始めのざわつきもない。
週の流れも、もう身体が覚えている。

今日は火曜日。
特別な会議があったわけでもないし、
何かを達成した感じもない。

強いて言えば、
何も起きていない。

でも、その「何も起きていない夜」に、
車に乗りたくなる。

イベントのない日は、処理が難しい

良いことがあった日なら、
分かりやすい。

気分がいいとか、
誰かに話したいとか、
余韻に浸るとか。

逆に、
嫌なことがあった日も、
扱い方は決まっている。

愚痴を言うか、
気分転換をするか、
早く寝るか。

でも、
何も起きていない日は違う。

喜ぶ理由もないし、
吐き出すほどの不満もない。

ただ、
一日分の時間を使ったという事実だけが残る。

この状態が、
意外と扱いづらい。

「普通な一日」は、ちゃんと疲れる

何も起きていないからといって、
エネルギーを使っていないわけじゃない。

朝起きて、
仕事をして、
周りに気を遣って、
時間に合わせて動いて。

一日が終わる頃には、
ちゃんと疲れている。

でもその疲れは、
分かりやすくない。

「今日は大変だったな」と言えるほどでもないし、
「楽だった」と言うのも違う。

ただ、
少し重たい。

家に帰ると、その重さが残る

仕事を終えて、
家に帰る。

玄関で靴を脱いで、
一息つく。

それでも、
気持ちが完全には切り替わらない。

テレビをつけても、
スマホを見ても、
どこか集中できない。

一日分の重さが、
行き場を失って、
そのまま残っている。

だから、車に乗る

この段階で、
車のキーを手に取る。

用事があるわけじゃない。
買い物でもない。
誰かに会いに行くわけでもない。

ただ、
一回、外に出たい。

家にいるのが嫌なわけじゃない。
でも、
この「何も起きていない一日」を、
そのまま家に持ち込みたくない。

車は「途中の場所」

車に乗ると、
どこにも属さない時間が生まれる。

仕事でもない。
家でもない。

何者でもない状態で、
ただ、走っている。

この「途中」にいる感じが、
何も起きていない夜には、
ちょうどいい。

考えなくていいことが増える

走り出すと、
やることはシンプルになる。

前を見る。
信号を見る。
アクセルとブレーキを踏む。

それだけで、
頭の中が少し静かになる。

今日が良い日だったかどうか。
明日をどう過ごすか。
そんなことを、
今は考えなくていい。

「意味」を探さなくていい時間

何も起きていない日ほど、
意味を探したくなる。

「今日は何だったんだろう」
「この一日に意味はあったのか」

でも、
車に乗っている間は、
その問いを持たなくていい。

意味がなくても、
時間は流れる。

それでいい。

何も起きていない夜は、実は貴重だ

振り返ってみると、
一年の大半は、
こういう夜だ。

イベントもなく、
区切りもなく、
感情が大きく動くこともない。

でも、
こういう夜が積み重なって、
生活になる。

何も起きていないからこそ、
無理がない。

車内は、日常を肯定してくれる

車の中では、
「今日は普通だった」という事実を、
そのまま置いておける。

評価もしない。
反省もしない。

ただ、
「一日終わったな」と思う。

それだけで、
気持ちが少し整う。

特別じゃない夜を、大事にする

特別な夜は、
記憶に残る。

でも、
特別じゃない夜は、
自分を支える。

何も起きていない平日の夜に、
車に乗る意味は、
たぶんそこにある。

家に戻ると、少し軽い

少し走って、
家に戻る。

エンジンを切ると、
静かになる。

さっきより、
少しだけ、
気持ちが軽い。

問題が解決したわけじゃない。
でも、
重さは減った。

明日も、たぶん何も起きない

明日も、
たぶん何も起きない。

大きな出来事も、
劇的な変化もない。

でも、
それでいい。

何も起きていない夜を、
ちゃんと過ごせるなら、
日常は続いていく。

このサイトが書きたいのは、こういう夜

華やかな話じゃない。
役に立つ話でもない。

でも、
こういう夜があることを、
否定したくない。

何も起きていない平日の夜に、
車に乗る意味。

それは、
特別じゃない自分を、
そのまま受け入れる時間だ。

そんな夜の話を、
これからも書いていきたいと思っている。