日曜日の夜、もう特別じゃなくなった時間の話

日曜日の夜、もう特別じゃなくなった時間の話

日曜日の夜は、
昔ほど特別じゃなくなった。

子どもの頃は、
日曜日の夜と聞くだけで、
少し胸が重くなった。

明日から学校。
また一週間が始まる。

あの独特の、
逃げ場のない感じ。

でも今の日曜日の夜は、
そこまで感情が動かない。

強い憂うつが、なくなった

「サザエさん症候群」みたいな言葉を、
昔はよく聞いた。

日曜の夕方から、
気分が沈んで、
夜になると、
はっきり憂うつになる。

でも最近は、
そこまでじゃない。

明日が来るのは分かっているけど、
それに対して、
強く抵抗する感じもない。

ただ、
「終わるな」という感覚だけがある。

楽しかったわけでも、何もなかったわけでもない

この週末が、
すごく楽しかったかというと、
そうでもない。

かといって、
何もしなかったわけでもない。

家で過ごして、
少し出かけて、
気づいたら日曜日の夜。

思い出せば、
ちゃんと週末だった。

でも、
特別な余韻は残っていない。

日曜日の夜は、ただ静かだ

テレビをつけても、
特別見たいものはない。

外に出ても、
街はもう落ち着いている。

日曜日の夜は、
全体的に音が小さい。

盛り上がりもないし、
落ち込みもない。

ただ、
静かに時間が進む。

この静けさが、少し不思議だった

昔は、
日曜日の夜が嫌いだった。

でも今は、
嫌いでも、好きでもない。

この変化が、
少し不思議だった。

成長したからなのか、
慣れたからなのか。

それとも、
日常がずっと続く感覚に、
身体が慣れたのか。

だから、車に乗る

日曜日の夜に、
車に乗る理由は、
はっきりしていない。

気分転換というほどでもない。
現実逃避でもない。

ただ、
この静けさの中に、
少しだけ動きを入れたかった。

日曜夜の道路は、感情に似ている

日曜日の夜の道路は、
空いている。

急いでいる車も少ないし、
クラクションもほとんど聞こえない。

でも、
完全に止まっているわけでもない。

この感じが、
今の自分の感情に似ている。

切り替えなくていい夜

日曜日の夜は、
よく「切り替えの時間」だと言われる。

でも、
無理に切り替える必要はないと思う。

もう明日は来るし、
もう一週間は始まる。

それを、
今日のうちに整理しなくてもいい。

感情が薄いのは、悪いことじゃない

強く喜ぶこともない。
強く嫌がることもない。

感情が薄い夜は、
つまらなく感じることもある。

でも、
感情が薄いからこそ、
無理がない。

これも、
日常の一部だ。

車内は、静けさをそのまま置いておける

車に乗っていると、
この日曜日の夜の静けさを、
そのまま置いておける。

意味づけしなくていい。
名前をつけなくていい。

ただ、
「こういう夜なんだな」と思う。

週末の終わり方も、変わってきた

昔は、
週末の終わりに、
何かを感じ取ろうとしていた。

楽しかったかどうか。
充実していたかどうか。

でも今は、
そういう評価をしなくなった。

終わった。
それで十分だ。

特別じゃない日曜夜も、悪くない

日曜日の夜が、
特別じゃなくなったことを、
少し寂しく思うこともある。

でも、
それは悪い変化じゃない気もする。

日常に、
ちゃんと馴染んできたということだから。

車を停めると、週末が終わる

家に戻って、
車を停める。

エンジンを切ると、
週末が終わったと分かる。

大きな区切りじゃない。
静かな終わり。

明日は月曜日

明日は月曜日だ。
でも、
それを重く受け止めなくていい。

もう慣れている。
もう知っている。

日曜日の夜は、
そうやって、
特別じゃなくなっていく。

この夜が、日常を支えている

派手な感情はない。
強い言葉もいらない。

ただ、
静かに終わる日曜日の夜。

車内で、
そんなことを思った話。