
1月が終わる金曜日、車内で感じた小さな区切りの話
1月の終わりが近づくと、
カレンダーを見る回数が、少し増える。
年末みたいな派手な区切りがあるわけじゃない。
何かが大きく変わる日でもない。
それでも、
「1月が終わる」という事実だけは、
静かにそこにある。
1月は、思っていたより長かった
年が明けたときは、
あっという間に過ぎていく気がしていた。
正月があって、
仕事始めがあって、
気づいたら1月も終盤。
でも振り返ると、
1月は、意外と長かった。
イベントが多かったわけでもない。
特別な成果があったわけでもない。
ただ、
ちゃんと日数分、生きていた。
「何かできたか」と聞かれると、困る
もし今、
「1月、何かできた?」と聞かれたら、
正直、答えに困る。
大きな達成はない。
目に見える変化もない。
いつも通り働いて、
いつも通り帰って、
車に乗って、夜を終えてきた。
でも、
それを「何もしていない」とは、
言いたくない。
区切りは、イベントじゃなくて感覚だ
年末年始みたいに、
強制的な区切りがあると、
分かりやすい。
でも、
1月の終わりには、
そういうものがない。
だからこそ、
区切りは、自分で感じ取るしかない。
「終わったな」と思える瞬間が、
自分の中にあるかどうか。
金曜日の夜は、区切りを感じやすい
たまたま今日は、金曜日だ。
一週間が終わる夜。
それだけでも、
少し肩の力が抜ける。
この「一週間が終わった」という感覚に、
「1月も終わりに近づいている」という事実が、
重なってくる。
それで、
ようやく区切りを感じられる。
だから、車に乗る
月末の金曜日の夜に、
車に乗る。
理由は、
いつもと変わらない。
今日という一日と、
この一ヶ月を、
一度、外に出したい。
走りながら、1月を振り返らない
「1月はどうだったか」
そんな問いは、
あえて立てない。
良かったか、悪かったか。
成功か、失敗か。
今は、
そういう評価をしたくない。
ただ、
走ってきた感覚だけを、
身体で確認する。
1月は、整える月だったのかもしれない
何かを始めたわけじゃない。
何かを終わらせたわけでもない。
でも、
正月から日常に戻るまで、
ずっと「整える」時間だった気がする。
生活のリズム。
気持ちの位置。
考え方の速度。
派手じゃないけど、
必要な作業だった。
区切りは、前に進むためじゃなくていい
区切りというと、
次に進むためのものだと思われがちだ。
でも、
必ずしもそうじゃなくていい。
「ここまで来たな」と、
一度立ち止まるための区切りでもいい。
1月の終わりは、
そのくらいの温度がちょうどいい。
車内は、区切りを静かに受け止めてくれる
車の中では、
1月を総括しなくていい。
反省もしない。
計画も立てない。
ただ、
「1月、終わるな」と思う。
それだけで、
十分だ。
2月は、もう少し先でいい
次の月のことを、
今すぐ考えなくてもいい。
2月は、
もう少し先に置いておく。
今は、
1月の終わりを、
ちゃんと感じたい。
車を停めると、1月が一つ終わる
家に戻って、
車を停める。
エンジンを切ると、
1月が、一つ終わった気がする。
カレンダー上では、
まだ数日残っているけど、
感覚としては、ここが区切りだ。
何も成し遂げていなくても、終わっていい
1月に、
何かを成し遂げていなくてもいい。
毎日を過ごして、
ちゃんと月末を迎えた。
それだけで、
十分だと思う。
また、次の時間を走る
1月は、終わる。
2月が来る。
特別な切り替えはいらない。
気合もいらない。
また、
いつものように走るだけだ。
1月が終わる金曜日の夜、
車内で感じた、
小さな区切りの話。






