
正月が完全に終わった火曜日の夜、車に乗って思ったこと
火曜日の夜は、
本当に何もない。
月曜日のような重さもないし、
金曜日のような解放感もない。
週の真ん中に近づいているけど、
まだ「折り返し」と呼ぶほどでもない。
ましてや今日は、
正月でもない。
祝日でもない。
何かが始まった日でも、終わった日でもない。
成人の日が終わって、
カレンダーの赤い数字が消えた翌日。
完全に、通常運転だ。
この「完全に何もない感じ」が、
火曜日の夜には、はっきりと出る。
正月の話題を、もう誰もしなくなった
職場でも、
正月の話をする人はいなくなった。
「年末年始どうだった?」という会話は、
先週で終わった。
今はもう、
いつもの仕事の話しかしない。
テレビも、
正月特番の気配は完全に消えている。
CMも、
「新年のご挨拶」みたいな顔をしていない。
街も、
完全に戻った。
この感じになると、
「ああ、正月は本当に終わったんだな」と思う。
静かに、でも確実に。
火曜日は、感情が出てきにくい
月曜日は、分かりやすい。
しんどいとか、憂うつとか、
そういう言葉が自然に出てくる。
でも火曜日は、
そういう感情が言葉になりにくい。
もう始まっている。
でも、まだ慣れきっていない。
疲れている気もするし、
そうでもない気もする。
だから、
「今日はどうだった?」と聞かれても、
うまく答えられない。
「普通かな」
その一言で済ませてしまう。
普通な一日が、いちばん処理に困る
良い日でもない。
悪い日でもない。
何かがうまくいったわけでもないし、
大きな失敗をしたわけでもない。
ただ、
朝起きて、
仕事をして、
帰ってきた。
こういう一日が、
実は一番扱いづらい。
達成感もないし、
反省するほどの材料もない。
でも、
確実にエネルギーは使っている。
それを、
どこにも出せないまま夜になる。
だから、車に乗る
火曜日の夜に、
車に乗る理由は、
だいたいこれだ。
処理しきれなかった一日を、
そのまま家に持ち帰りたくない。
誰かに話すほどでもないし、
一人で考え込むほどでもない。
でも、
そのままにしておくには、
少しだけ重たい。
車は、
そういう「行き場のない一日」を、
いったん預かってくれる。
何も考えなくていい時間
車を走らせていると、
考え事は、
勝手にほどけていく。
無理に整理しなくてもいい。
意味を見つけなくてもいい。
ただ、
前を見て、走る。
信号で止まって、
また走る。
それだけで、
頭の中が少し空く。
火曜日の夜は、評価を求められない
月曜でもない。
金曜でもない。
「よく頑張ったね」とも言われないし、
「明日もあるぞ」とも言われない。
火曜日の夜は、
誰にも評価されない。
でもそれは、
悪いことじゃない。
評価されないからこそ、
そのままでいられる。
日常は、こういう夜でできている
振り返ってみると、
一年のほとんどは、
こういう火曜日の夜だ。
特別な日なんて、
本当に少ない。
でも、
特別じゃない日が積み重なって、
生活になる。
火曜日の夜を、
ちゃんと過ごせるかどうかは、
意外と大事だと思っている。
車内は、日常を肯定してくれる
車に乗っていると、
「今日は普通だった」という事実を、
そのまま受け入れられる。
普通でいい。
何も起きなくていい。
ちゃんと一日を終えたなら、
それで十分だ。
正月が終わった、その先へ
正月が終わった。
イベントも終わった。
区切りも終わった。
残ったのは、
火曜日の夜みたいな日常だ。
でも、
この日常があるから、
また走っていける。
車を停めて、
エンジンを切る。
今日も、
何も起きなかった。
それでいい。
正月が完全に終わった火曜日の夜は、
そうやって、
静かに過ぎていく。






