【成人の日】祝日なのに、もう完全に平日側にいる自分の話

【成人の日】祝日なのに、もう完全に平日側にいる自分の話

成人の日は、祝日だ。
カレンダーも赤いし、ニュースでもそう言っている。
でも、朝起きたときの感覚は、どう考えても平日だった。

目覚ましを止める指の動きも、
布団から出るまでの時間も、
頭の中で一日の流れを組み立てる癖も、
完全に「いつもの朝」になっていた。

ああ、もう戻ったんだな、と思った。
正月は、終わった。

祝日なのに、心が休まない朝

成人の日は、
どこか特別な祝日だと思っていた。

新成人の晴れ着。
街の少し浮いた空気。
ニュースに映る、人生の節目。

でも自分にとっては、
ただの月曜日に近かった。

仕事が休みでも、
頭の中はもう平日の配置で動いている。
「明日は火曜日だな」と、自然に考えている。

祝日なのに、
心が休みに切り替わらない。

これは、悪いことなんだろうか。
そう思いかけて、
いや、たぶん違うな、と思い直した。

正月が終わったと実感する瞬間

正月が終わったと実感するのは、
松の内が明けた日でも、
仕事始めの日でもなかった。

この成人の日だった。

祝日なのに、
祝日として扱えなくなったとき。
それが、いちばんはっきりした区切りだった。

正月気分が残っているうちは、
祝日は「まだ正月側」にある。

でもこの日は、
完全に「平日側の祝日」だった。

休みではあるけど、
気持ちはもう戻っている。

車に乗ると、その事実がよく分かる

昼過ぎ、車に乗る。
特別な用事があるわけじゃない。
ただ、少し走りたくなった。

ハンドルを握った瞬間、
自分がもう「日常の運転」に戻っていることに気づく。

正月中の運転とは、
どこか違う。

道の選び方。
信号の見方。
周りの車との距離感。

全部が、
普段のそれだった。

正月は、
車に乗っていても、
少しだけ気持ちが浮いていた。

でも今日は違う。
地に足がついている。

戻ったことを、否定しなくていい

正月が終わると、
少し寂しい。

あの緩んだ時間が、
もう戻らない感じがして。

でも同時に、
どこか安心もしている。

日常に戻ったことで、
自分の居場所がはっきりする。

やることがあって、
時間が区切られて、
予定が前に進んでいく。

それを、
ネガティブにだけ捉えなくてもいい。

祝日が「普通の日」に見えるということ

成人の日の街は、
一応、休日の顔をしている。

人出もあるし、
商業施設も賑わっている。

でも、自分の視点は、
もう完全に平日側だ。

「あ、明日からまた一週間だな」
そんなことを、自然に考えている。

祝日が、
日常の延長に見える。

それは、
正月が完全に終わった証拠だと思う。

大人になるということ

成人の日という名前を考えると、
少し皮肉だなと思う。

新しく大人になる人たちがいる日に、
自分は「完全に日常に戻った」ことを実感している。

大人になるって、
特別な瞬間じゃなくて、
こういう感覚なのかもしれない。

祝日でも、
平日の感覚で動いてしまうこと。

それを、
特別だとも、不幸だとも思わなくなること。

車内は、区切りを静かに受け止めてくれる

車に乗っていると、
「正月が終わった」という事実を、
無理なく受け入れられる。

誰かに説明する必要もないし、
気持ちを整理する必要もない。

ただ、走っているうちに、
そうなんだな、と思える。

それだけでいい。

戻ることは、前に進むことでもある

正月が終わる。
日常に戻る。

それは、
後退じゃない。

前に進むために、
元の場所に戻るだけだ。

走るために、
スタート地点に戻るようなもの。

車は、
それを自然に教えてくれる。

このシリーズの終わりに

12月の終わりから、
正月を挟んで、
今日まで。

車と一緒に、
時間の移り変わりを感じてきた。

年末の締め。
元日の静けさ。
仕事始め前の揺れ。
平日への戻り。
一週間を終えた土曜日。
そして、この成人の日。

もう、正月は完全に終わった。

でも、
終わったからこそ、
また次の時間を走っていける。

また、日常を走る

車を停めて、
エンジンを切る。

静かになる。

祝日でも、
平日でも、
結局は同じように、
一日が終わる。

それでいい。

正月は終わった。
日常が戻った。

また、
いつもの道を走るだけだ。

この感覚を、
特別だと思わなくなった自分を、
少しだけ、大人だなと思った。

成人の日の、
車内での話。