
【2025年冬】便利すぎる時代に、あえて「手間のかかる車時間」を大切にする理由
気づけば僕たちのカーライフって、めちゃくちゃ便利な時代になりましたよね。
鍵は持ってるだけでいいし、ハンドルを握らずに駐車できる車も増えたし、
ナビは「ここ行きたい」って言えば最適ルートを案内してくれる。
昔なら考えもしなかったような機能が、今じゃ“標準装備”みたいな顔してる。
だけどね。
便利になったはずなのに、どこかでふと、こんなことを思う瞬間があるんですよ。
「あれ? なんか物足りないな」って。
もちろん最新機能が悪いわけじゃない。むしろありがたい。
安全だし、快適だし、疲れにくいし、長距離なんて昔より圧倒的に楽。
でも、便利になればなるほど不思議と、“自分が運転している感覚”が薄くなる瞬間があるんです。
そこで今日は、僕があえて大切にしている
「手間のかかる車時間」の話をしようと思うんですよ。
説明じゃなくて、“価値観の話”。
カーライフというより、ほとんど人生の話に近いかもしれない。
◆ 「わざわざ」って、じつは贅沢なんだ
スマホも車も家電も、世の中はどんどん効率化されてるじゃないですか。
「手間を減らす」ための技術って、びっくりするほど進化してる。
でもその一方で、僕はずっと思ってるんです。
“手間がゼロになると、人の心もゼロ方向に寄っていく”って。
たとえば冬の朝に、車に乗り込んだ瞬間のあの冷たさ。
シートの硬さも、ハンドルの冷たさも、息が白くなって窓に写る。
あれって“手間”のひとつなんだけど、でもね…
実はあの瞬間が僕は好きだったりする。
車と季節がちゃんとリンクしていて、
「ああ、今日も始まるな」って気持ちになる。
便利さでは味わえない“生活の輪郭”みたいなものがそこにあるんです。
◆ ゆっくり走る日があってもいい
最近の道路って、みんな流れが速いですよね。
時間に追われてるのか、気持ちに余裕がないのか…
なんか全体的にピリピリしてる空気すら感じることもある。
でもね、僕は冬になると意識していることがあるんです。
「あえてゆっくり走る日をつくる」ってこと。
それは安全のためでもあるけれど、それだけじゃなくて。
ゆっくり走ることで、景色も音も、自分の心の動きさえも、
なんだかひとつひとつ丁寧になっていくんですよ。
アクセルを軽く踏んで、車が少しだけ前に進むあの感覚。
決して“最新技術がくれる快適さ”じゃないんだけど、
自分と車がちゃんと繋がっている感覚がある。
便利すぎる時代だからこそ、
こういう“自分の速度で生きる瞬間”って、逆に価値が上がってる気がします。
◆ ナビがあっても、たまには「迷ってみる」
ナビがあるのはありがたいですよね。
目的地まで迷わず最短ルートで運んでくれる。
渋滞も回避してくれるし、もう手放せないという人も多いと思う。
でもね。
僕はときどき、あえてナビをオフにして走る日があるんですよ。
べつに迷子になりたいわけじゃない。
ただ、“迷う自由”って、人生の中で意外と失われてるんです。
知らない小道に入ってみたり、
予定してない景色を見たり、
ふと気になる店を見つけて寄ってみたり。
そういう時間って、効率とは真逆だけど、
心の中の「余白」を取り戻していく感覚があるんです。
「間違える」とか「回り道をする」って、
実は人生でも大事なことなんですよね。
車は、それをゆっくり思い出させてくれる。
◆ 手間は「不便」じゃなくて「味」になる
車の機能が増えるほど、
「不便=悪いもの」って空気が強くなっている気がします。
でも本当にそうなのかな?っていつも思うんですよ。
お湯を沸かすのも、
インスタントよりドリップのほうが「味」が出るみたいに、
手間には手間にしか生まれない温度がある。
車も同じで、
便利さがいくら進化しても、
“自分が運転してる感覚”という味は、手間の中にこそ宿るんです。
冬は特にその味が濃くなる。
道路の冷たさも、車の重さも、空気の匂いも、
全部がちょっとした“物語みたいな味”になる。
だから僕は、便利さを受け取りつつも、
「全部便利にする必要はないよな」って思っているんです。
◆ 手間が“自分を取り戻す時間”になる
便利なものって、確かにありがたいんですよ。
でも、便利さに身を委ねすぎると、どこかでふと、こう思うことがありません?
「あれ、自分って今どう生きてるんだろう?」
役に立つ情報は勝手に届くし、
ルートは勝手に選ばれるし、
最適化された判断がどんどん“提示”される。
もちろん効率は上がるんだけれど、
そのぶん、僕たちが“選ぶ”という行為そのものを奪われていく感覚もあるんですよね。
でも車って、その奪われそうな「自分」を取り戻すきっかけになるんですよ。
アクセルを踏むか踏まないか、
右に行くか左に行くか、
どの速度で走るか、
ブレーキをどれくらいの強さで踏むか。
その一つひとつが、すごく “自分の選択” なんです。
効率なんて追いかけてない。
最適解を求めて走ってない。
ただ、自分の手と足と感覚で、ひとつひとつ選んでる。
それが、手間をかけるカーライフの本当の価値なんですよ。
冬道は特にそうで、
車の挙動がわずかに変わるたびに、
「はいはい、今日はこういうコンディションね」と
ちょっとした“会話”みたいなものが生まれる。
この感覚は、いくら技術が進んでも変わらないんですよね。
◆ 冬の車時間は「自分の音」に戻れる場所
冬って、外の音がちょっと小さくなりません?
空気が静かで、景色も落ち着いていて、全体的に“余白”が増える季節。
道路も空気も心も、全部がどこかスローモーションになるような、あの感じ。
僕はあれが好きなんですよ。
車って、そういう季節の静けさを
そのまま箱にしてくれる乗り物なんです。
暖房の音、タイヤが雪を踏む音、温まっていくエンジンの音。
その全部が心の速度をゆっくりにしてくれる。
世の中のスピードからいったん離れて、
「自分の音」だけを聞ける場所。
それが冬の車時間なんですよね。
スマホが鳴りっぱなしの毎日でも、
車に乗ってハンドルを握った瞬間、
心の中の騒がしさが不思議と整っていく。
これって、技術じゃなくて “時間の質” の話なんですよ。
◆ 利便性が進むほど、「あえて手間を選ぶ価値」が上がる
世の中の便利さは、これからもどんどん加速していきます。
自動運転はもっと進むし、給油も支払いも全部自動化されていく。
予定管理もルート選択も、もはやAIに任せるのが普通になるはず。
でも、そんな未来になるほど、逆に
“手間をかけることの価値”
って上がっていくと思いません?
だって、便利さって誰にでも提供されるんですよ。
でも手間って、その人の性格やこだわりやリズムが滲み出るんです。
・ゆっくり車を温める人
・音楽を決めてから走り出す人
・まず景色を見に行く人
・遠回りして帰る人
・あえて古い車を大切に乗り続ける人
そういう“個性”って、便利さの中では消えていく。
でも手間を選ぶことで、逆に濃くなっていくんです。
僕はそこに、カーライフの本質があると思ってます。
◆ 「効率」で語れない幸せって、確かにある
人生の大事なことって、効率だけでは語れないんですよね。
たとえば、好きな人との時間。
友だちとだらだら話す夜。
意味のない散歩。
予定もないドライブ。
遠回りして帰る夕方のあの空気。
こういう時間って全部、非効率のかたまりなんですよ。
でも、心が救われるのはいつだって効率とは真逆の時間だったりする。
車って、そんな“非効率を許してくれる場所”でもあるんです。
だから僕は、便利な時代でも、いや便利な時代だからこそ、
手間のかかる車時間を大切にしたいと思ってます。
◆ 冬の車時間がくれる「静かな贅沢」
冬って、他の季節よりも “贅沢” を感じやすいと思うんです。
それはお金の話じゃなくて、心の贅沢の話。
たとえば──
・温まっていく車内の空気
・フロントガラスがゆっくり曇りを消していく感じ
・まだ暗い朝に聞くお気に入りの音楽
・白い息が少しずつ見えなくなる瞬間
・道路の上に降りたばかりの雪の静けさ
どれも手間があるからこそ味わえる“冬の物語”なんですよね。
便利さに全部任せていたら、この物語は多分どこかで消えてしまう。
でも、ちょっとだけ手間をかけてあげると、
冬は一気に色づいてくる。
この静けさは、冬だけの宝物です。
◆ 「手間を愛せる人」はきっと人生が豊かになる
僕は昔から思っているんです。
「手間を愛せる人は、きっと人生を豊かにできる」って。
早く結果を出したい時代に生きているけれど、
手間をかけることでしか見えない景色って、確実に存在するんですよ。
ゆっくり走る日、遠回りする日、車の機嫌を確かめる日。
その全部が、人生をちょっと柔らかくしてくれる。
そして冬は、その柔らかさがいちばん染みる季節なんです。
◆ 最後にひとつだけ──あなたにも「自分の速度」で走れる冬になりますように
ここまで読んでくれたあなたは、きっと車に対してただの道具以上の感情を持っている人だと思うんです。
だから最後にひとつだけ、心から伝えたいことがあります。
どうか、この冬くらいは「自分の速度」で生きてほしい。
周りのスピードに合わせなくていい。
効率を追いかけなくていい。
ナビの最適ルートじゃなくてもいい。
あなたの心が心地いいと思う速度で走るだけで、
冬のカーライフは驚くほど豊かになるんですよ。
便利すぎる時代でも、いや便利すぎる時代だからこそ、
“手間をかける勇気”を忘れずにいられたら、きっと人生も少しあたたかくなるはずです。
それでは、良い冬のドライブを。
そしてあなたの冬が、静かで、豊かで、やさしい時間になりますように。






